靖国護郷の神さま

 

 

宮司 林 栄治

  

 畏くも、明治天皇さまは、靖国神社と社号を賜はり、九段の坂の上に祀らせ給うたのであります。

 日本国のある限り、靖国神社は国家でお祀りされるものと信じていたにも拘はらず、神道指令によって、私法人として漸く、存置されています。

 独立後は国民の間には、靖国神社を国家で護持すべきではないかと強い要望が湧いているのも必然であります。

 靖国神社を国家で護持するためには、靖国神社を、堂とか廟に変更したらとの異論も飛び出しましたが、靖国神社当局では、神社の社号を絶対に変更しないと声明されています。

 ご遺族の心を尊重して、靖国神社は守り抜くべきであります。一日も速やかに、靖国神社が国家で祀られますよう、法制定の実現を祈念してやみません。

 靖国とは即ち安国でありまして、英霊のご加護によって、わが日本の国を安国としろしめす大御心のままに、永遠に護られるものと、国民も等しく信じている次第である。

 私は戦後日本が、世界の驚意のうちに、素晴らしく経済文化の発展を迎えたのも無言のうちに、靖国護国の神々のお護りのお蔭を蒙っていることを忘れてはならないと考へています。これは国家存亡の歴史が示している所であります。

 さて、靖国神社は当然一社だけでありますが、全国各道府県には、護国神社が祀られています。その道府県に関係のある靖国の神々がお祀りされていて全国で五十二社あります。元の師団や連隊区を中心に護国神社が立てられました所もあり、岐阜県などは県内に三社もあります。

 護国との名称は、靖国神社の尊称を遠慮申上げたのは勿論であり、国家をお護りする意味と地方の古い名称である各国を意味する含みのあるのが、各府県の懐しみを覚ゆる所である。

 三重県でも、伊勢の国、伊賀の国、志摩の国、牟婁の国とありますが、県を一つとして三重の国と精神的には考へられるのでありましょう。三重県の護国神社であります。

 三重県護国神社には元招魂社と称した時代があります。護国神社とは現在の所に、官祭招魂社として認められてから、昭和十四年四月一日に三重県護国神社と改称されました。各村々町々に招魂碑とか忠霊塔とかが建てられたのも招魂社時代のことであります。招魂社でも、県公費で経営されることに指定されて始めて、官祭招魂社となったのである。

やがて三重県護国神社と改称されて、三重県として祭祀を執行して、盛大に神賑も執り行はれて来たのでありました。

 大東亜戦争の終戦と同時、連合軍のもとに、神道指令が発せられ、真先に軍国主義だとして、護国神社は廃社される運命に臨み、宗教法人三重神社と改称して、全く県公費から切り離されたのはご承知の通りでありますが、わが国の独立と共にまた宗教法人三重県護国神社と再び改称して現在に至ります。県民の心の寄り所として当然の姿と存じます。殊に六万余柱に及ぶ英霊のご遺族としては三重県護国神社として、名の示す通り、県公費をもって、公に祭祀の執行されることを強く要望され、敗戦より立ち上るためには先づ国のために、郷土の名誉を荷って殉死された英霊を御慰めすることから始まると云う希望が盛り上り、春秋大祭も盛大に執行されるばかりでなく、別に国や県主催の慰霊式まで取り行はれるに至りました。日本人の精神的生活面における当然の現はれであります。

 前にも述べましたように、各市町村に忠霊塔やら招魂碑が到る所に建てられ、祀られてありますが、国に靖国神社があれば事足りると思はれるのに、各道府県に護国神社が祀られ、更に各市町村に表忠碑、忠魂碑、招魂碑が祀られるのは何でありましょう。

 特に私が、靖国護国と云はないで、靖国護郷と称して、英霊を称え奉る謂が、ここにあります。

 英霊のご生前には、農工商医等各階各層の方々であり、学者もあれば、先生もあり、芸術家、医者もあられ、世にありとあらゆる職種を集めてのことであり、神社のご祭神のうちで、これ程各方面をご守護下さるのは他にご座いません。農業にしても、学問にしても病気にしても、護国神社に祈願されることが適はしいのではないかと云はれるのも無理からぬことでありましょう。

 それは兎に角として、靖国護国の神々さまは、凡人の及ばぬ忠節護国の英霊、大和魂の英霊をば招魂申上げて、靖国神社にお祀りし、護国神社にお祀り申上げている次第であります。

 それでありますから、出身地の郷土では、どう考へてよいか。即ちそれが忠魂碑であり招魂碑となって現はれているのでありますから、国を安国としてお守り下さると同時に、郷土をも安らかにお守り下さるのは当然であります。そこに私は靖国護郷の神と称して鎮守の森を中心に、ご遺族各位の近くに、お祀りし懐しく拝み奉るのは自然のことだと存じまして、特に靖国護郷の神と尊称申上ぐる所以であります。

 もとより神道に於いては、死せば高天原の神々の坐す所へ往けるよう、お招きを頂けるように、生前の生活に精進するのでありますが、その高天原への近道として、各郷土の鎮守の森をば信仰として持っている次第であります。

 昇天して鎮守の森に、み霊を安めることが出来ると云う信仰は、如何に、私どもの生活を明るく励ましていることでしょうか。

 靖国護郷の神としては、殉国の英霊として靖国神社や護国神社にお祀りされると共に、郷土の護り神として、鎮守の森にお祀り申上げたら、真に安国の英霊として、全国津々浦々を明るく力強く守り導いて頂けることだろうと、信じ、祈念している次第であります。靖国護郷の神とは何と云う素晴らしく懐しいことでありましょう。

 次に忘れてならぬのは誉の家のことである。即ち英霊の生れ坐せし遺族の家には必ず靖国の神さまをお祀りして、懐しい家族の方が毎日お参りしてをられるのを何と云う姿で言葉でしたら適はしいでしょうか。

 私はこれを靖国護家と云います。安国と平けく国家をお護り下さると同時に、英霊の各家庭をも平和にお護り下さる神さまであると信じるからです。

 義勇公に奉じて殉国の英霊となられた靖国護国の神さまも、各家庭に於いて、忠孝一本義勇奉公、尊皇愛国、尽忠報国などと大和魂を培かひ養ひ育ったからこそ、護国の英霊として、神去り坐せしものと存じます。

 誉の家の皆さまが、此の大精神を語り伝え称うつつ、懐しき英霊をば、靖国護国の神として仰ぎ奉り、わが家を護り下さる神として、親しく懐しく、忘れ難なく、朝夕お祀りされて居られると存じます。靖国護郷の神であると同時に、護家の神さまであられることを忘れてはならないのであります。敢て私はこれを靖国護家の神さまと称したい。

 英霊が故郷を出で立つ時に「お父さんお母さん、永生きして下さい。弟よ、妹よ、仲よくして、ご両親に親孝行してくれよ、妻よ、この児を立派に育ててくれよ、頼む」と云い遺された言葉は、今は神さまの言葉として生きているのである。夢おろそかにしてはならない。

 誉の家には、英霊が生きておられると云います。毎日おまつりを欠かさぬ遺族の家では必ず英霊が生きてお護りになるとの信仰であり、この護家の信仰が基礎となってこそ、靖国護国の大精神が現はれるのでありましょう。

昭和47年3月25日発行「三重護国」より

 

解説:本稿は靖国護国の神の用語について解説したものである。護国の名称は靖国の語を遠慮し、護国と称するとある。この護国の「国」は単に、日本国という国家の意味でだけでなく、旧国名(伊勢や伊賀等)の意味を持っているという指摘は味わい深い。また、御英霊が出自の家を護る事から「護家の神」とまで敷衍して考えられているのは教学的視点から注目できよう。

 


三重護国 第9号2頁、3頁
三重護国 第9号2頁、3頁

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