林宮司挨拶文集2

-社報以外-

  


『祝発刊』

 

 三重県神道青年会が、この度機関紙を発刊されると聞いて、わがことのように嬉しく、喜びに堪えない。心からお祝致します。

 先輩各位が着実な歩みのうちに、親密な連絡をとりつつ、徐々に充実発展されて、今日自らの手で、広報の機関紙を持つまでに到った努力に本当に敬意と祝意とを表さずにはおれません。お芽出度う存じます。

 固より神道青年会は、その発足に当り、氏子青年の育成と云う目標を立てて、この目的のため団結し、事業を進めて今日に到っているように考へられる。然し氏子青年会は既に自立自営の運営を続けられて、立派な成績を示しつつあり、当神青協の皆さんの強い協力を要請されてはいるが、これは必然的に末永く続く、兄弟関係としての相互関係であるから、今後も指導協力を仰がねばならないのは勿論でありましょうが、全く氏子青年会として面目を一新しつつあることを見逃し得ない。

 これも偏へに神道青年会としての良き指導があったからでありましょう。然し以上の如く、氏子青年が自立自営の姿を整えることになると、神道青年会自体は、神職のみの青年部会として脱皮して来るのも、自然の勢いでありましょう。

 神道青年会の役員のうちから、神職でない一般神道人が、勇退されて全く現任神職の青年によって組織されて来たことは、本来のあるべき姿に、自ら修理固成されて来たのでありましょう。

 今日まで兎角に、神社庁の役員の間に、神道青年会のあり方について批判のあったのは事実でありますが、それは発足当時の目的事業の性格上から生れたものであると考えられ、氏子青年会も既に独立して、神社本庁の指定団体となりました以上、神道青年会も同じ、本庁の指定団体として、本来の真姿を顕現して頂くべき時期にまで発展されていると思はれるのであります。

 勿論今日までも決して、本来の目標を失っておられると考へられないし、特に三重県に於いては極めて自然であったと考へておりますが、今後は、此の機関紙を通じて、真姿を顕現して頂くことが望ましいのであります。

 神道青年会は、神社庁に於ける神職青年部としての性格を持って頂くことが自然ではないか。それは各地方団体、各宗教宗派における青年部と変りのない筈である。

 氏子青年会の育成指導と云う事業もまだまだ強くお世話を頂かねばなりませんが、神社界における、前途を嘱望されている青年神職の占める分野に於いて、奉仕活動の近代的な分析を互に研め、或はまた、その要請に応えるためには、青年時代における、神職としての修養研修に互に連帯的に努力し或はまた、青年時代に適はしいと云いますか、青年時代でなければ出来ないと考へられる方向への、団結的な活動奉仕を考へて頂くことがあるのではないか。

 近代社会の福祉国家の建設に協力することは、宗教家として最も心を砕くべき事柄でありますから、青年時代の燃ゆるが如き愛国の熱意の消えない間に、鎮守の森を中心として氏子の皆さま、恵まれない方々の、良きお相手になり、氏神さまのご加護、有難いお守りの仲執り持ちとなりうるよう、懐しい氏子の皆さまのご期待に応え得るよう、互に研修の機関紙として発展されることを切に希望するものであります。

 時宛も明治維新百年を迎え、神宮式年遷宮奉賛事業を推進せねばならない年でありますから、此の発刊が極めて有意義であり、神道青年会の発展を意味するものとして感謝に堪えません。皆さん青年らしく勇躍下さい。

昭和42年8月1日発行 『榊葉』第1号より


『更に飛躍を祈る』

 

 わが三重県神道青年会が、幹部諸君のご尽力によって、お互の研修を深め、斯道昂揚のために、青年らしく挺身され、年毎に充実されつつあることを、心から祝福し、お喜び申し上げて居りましたが、この度は情報時代に因み、機関紙を発行されることに相成り、其の企画を聞いて多大の敬意を表する次第であります。機関紙は新しい情報を交換し、お互の責任を明らかにするものであるから、会員の啓発に役立つは勿論斯道の為めに稗益する所大であり、今後益々発展されることを信じて疑いません。

 聊々青年時代は一生に二度とは到来しないのであるから、青年時代の長所を伸ばし、短所を袚ひ清めねばならない。或は自らを磨き学を修めるためのエネルギーに不足しないのが青年の長所である。そのために情熱溢れて血気にはやるのが短所でもあり又長所とも云はれて居る。

 神職として青年時代にこそ、古典の研究は因より祭式行事作法の修得、祭祀の厳修、教化の活動に万難を排して実績を積み上げて貰いたいものである。青年時代を怠けては取り返しがつかない。世に大学を卒業すれば、何でも知って居るかのように、錯覚を起し、世間の人も大切に遇するし、本人も亦何でも知って居るように振舞うことになって、大変な過ちを犯している事が多いので、それこそ気の毒な青年大学卒業者の多いことか。

 先輩も教えてくれましたように、大学を出て講習にも出ないで知ったか振りをする者は必ず落伍するであろう。その反対に中学卒を恥ぢることなく、青年らしく、講習に講習を積み重ねて研修怠らず、勉強に励むならば、立派な人格者としての神職になり得ることを心に刻んでおくべきでありましょう。

 一生取り返しのつかない落伍者を出さないように、励まし合い、親睦団結し、青年の血潮を燃やし、積極的な活動を進めて貰いたいものである。齢老境に入っては、やれないことが多い。即ち青年時代でなけねば実行出来ない分野を担当するために、青年神職の長所を愈々益々発揮して、或は先輩を鞭つ活動を、或は後輩の鑑となって励ます覚悟を持って頂きたい。

 現代は人手不足、殊に青年神職としても、人物に不足はなくとも、団体として人数に不足するのではないか。各神社での行事なり、氏子活動が忙しくなって、余暇の少くなっている青年神職の皆様でありますから、少い数の上に更に一層の団結を要請されるでありましょう。

 時局は洵に重大であります。殊に青年に期待する所実に多大なもののある折柄、民族の伝統精神を受継ぐことに於いて人伍に落ちない覚悟と決意とを有する青年神職の皆さまが、愈々一致団結して邦家を守り抜くための義勇奉公的活動を切に希ってやみません。

 この度新装成った宇治橋のように、古い伝統を守りつつ、新しさを求めて活躍して下さい。

 その意味に於いて、此の機関紙の今後の活用とご発展とをお祈りしてお祝辞と致します。

(四四、一一、二日宇治橋渡始め)

昭和44年12月1日発行 『榊葉』第3号より