護国神社の公共性

 

 

宮司 林 栄治

  

 靖国神社の国家護持と云うことで、拾数年来研究を重ねられ、現憲法下で、いかにすれば実現出来るかの線を、或は靖国神社で、或は遺族会で検討されているが、結局は宗教法人であることが、どうにもならない壁となつているようです。

 それは靖国神社を始め神宮神社等へ国費公費を供進してはならないと云う掟が神道指令であり、連合軍としては神宮神社に対し徹底的に打撃を与えるのが目的であつたのだから現憲法下では、国費公費の支弁も極めて困難を伴うのも無理のないことでしょう。

 然し靖国神社の国家護持については、靖国神社法が必要なら、それも制定するなりして、必要な措置を講じて、速やかに実現して貰うよう念願するものである。

 靖国神社は、明治天皇の思召も深く、其の存立の意義、由緒も明らかでありますが、各地方の護国神社については、それぞれ趣を異にしている。或は招魂社として有志により創立されたのや、県指定の招魂社乃至県立の護国神社など種々ありますが、今日ではすべて宗教法人として存立しているのは御承知の所である。

 三重県護国神社は空襲による戦災をうけて殆んど全焼に近く、僅か御本殿を守り続けて終戦を迎えたのであつた。県費をうけて経営されていた三重県護国神社は全焼し、神道指令をうけて、止むなく宗教法人三重神社が生れたのである。

 やがて日本独立後県民多数の篤志により、芽出度く、現在の立派な、全国にも珍らしい荘厳な社殿が造営されたのである。宗教法人として、自主的に発足し、造営奉賛会の組織によつて、数千万の募財を完遂して大工事を完成した時に、あらゆる関係者から、このような護国神社の経営に対して、県市町村が、知らぬ顔して見ているのはおかしいと云う意見が、各所に彷彿として湧き起つたのである。

 決してそのような運動を起したのでもなく、御造営が立派に完成したのを見て、わが英霊に対し報恩慰霊の誠を尽くすべきであり、わが県民の魂の寄り所として、県市町村も神饌料位お供えして然るべきではないかと云う声が盛り上つたのである。

 時宛も全国的に英霊顕彰の声高く、国家再建には先づ殉国者の慰霊を尽くすべきであるとの主張も強くなり、やがて政府に於いても黙し難く、公共団体の長が、英霊慰霊祭に参列したり、玉串料供花料等を捧げても差支えない旨の次官通達が出されたのである。

 そこで各地では、盛んに執り行なはれる慰霊祭の案内に応じて、県市町村の代表者が、お供料をもつて参列されるのが礼儀となり、当然のこととして今日に到つたのである。

 それが段々と常識となって、三重県護国神社に於いても、県市町村から特別神饌料を供えられ、大慰霊祭を執行して、或はその祭典委員長として参列されるようになりました。

 郷土の代表として国家に殉じた英霊の慰霊祭を執行するのに、県民の大多数が適切な場所として認める護国神社の社頭に於いて、県市町村長の代表が祭典委員長となり、且特別神饌料をお供えし、遺族各位を慰められるのは、同胞として、当然の姿だと認められたのである。既に拾数年続けられている春秋二回の大慰霊祭は全く、三重県民の総意によつて執り行なはれる公共祭と云つても過言ではない。

 この大慰霊祭には、固より奉賛会の役員としてではあるが、ご案内の通り、知事を始め衆参議員、県会議長、県下市町村その他各種団体長多数の参列を得て、三重県遺族会員多数をお招きして、文字通り、盛大に催される次第であるが、何と申しても、これ位心の籠った、県民挙げての、公共性を高く打ち出したお祭は他にご座いません。かねて催されている国、県主催の無宗教的慰霊式典などの及びもつかない所である。

 宗教法人がどうのこうのと云う理屈ではなく、日本民族の同胞として止むにやまれない心から、此の盛大な春秋慰霊大祭が執り行なはれ、事実を以つて、護国神社の公共性を物語つていることを見逃してはならない。

 尚更に皇室の御崇敬を忘れてはならない。終戦以来の五万余柱の英霊を芽出度く合祀完了奉告祭に際し、皇室より特に幣帛料をお供え頂いたのであります。護国神社には甞てないことであり、神道指令以来、元の官国幣社ですらお供えのない時もあるにも拘はらず、護国神社には特別に御奉納の思召しを拝し、恐懼の極みであります。尚、陛下には神宮御親拝の折、宮司を召されて幣饌料の奉奠を賜はつたのでありますが、かくの如く有難い皇室の御崇敬を辱うして、愈々益々護国神社の公共性を顕示すべきを思う次第であります。

 かくの如く三重県護国神社は私すべきでないとの見地から、三重県神社庁に於いても、県下の神職が挙げて奉仕すべきを申し合せ、庁長を始めとして、各郡市支部より一名宛の代表神職が親しく大祭を奉仕し以て、其の公共性を保持しております。

 県営でもないのに公共性の保持は仲々に六ヶ敷い次第ですが、右のような所まで、県民の皆様がご理解下され、護国神社をして、県民の魂の寄る所としての祭礼に協賛頂き、事実をもつて公共性を打ち出して頂いていることに神人共に衷心より喜びと感謝を捧げます。

 今後更に、私どもは護国神社の公共性を広く高く認識を求めて、益々神威の昂揚を期し、国家の隆昌と県民の福祉増進、又更にはご遺族各位のご安泰を祈念して参りたいと存じます。

 先年北海道護国神社のお祭に参列しましたが、旭川市の町はづれまで、各戸に国旗と提灯をかかげて慰霊の誠をささげ、祭礼に協賛されているのに驚きました。それのみならず自衛隊を始め近郊の高等学校の楽団が、拾数校も参加し、隊伍を組んで市内をパレードし、最後に護国神社の広前に繰り込んで整列し、各隊の先頭旗手女学生が各々花束を神前に供え、国の鎮めなど数曲を合奏奉納されるのを見て、この若人等の姿に接し、思はず感謝の涙を催したのである。

 かれを思ひ、これを見る時、当護国神社に於いても、まだまだ公共性を盛り上げて、真に英霊に感謝を捧げねばならない、皆様に協力を仰がねばならないことどもが沢山ご座います。

 今後三重県護国神社が、三重県民の魂の寄り所として、公共性を堅持し確立しつつ、どなたでも、血縁のつながる、親しみ深い姿に発展するよう、格別のご協賛を祈つてやみません。

 皆さまも御承知の如く、護国神社の御祭神は、護国の神をお祀り申し上げてありますが、その昔を偲べば、英霊のご生前は農工商士を問はず、医学博士もあれば文学博士もあり、老若男女には貧富の別なく、将校下士の区別なく、殊に保守革新の争なく、同列同位の神々として拝し国民大衆に最も親しみ深い神々として仰がねばならない神社でありますから、戦争につながるとして忌避される意見の方もありますが、私としては、これ位国民大衆に親しみの深い、平和な祈りを捧げるに適はしい神々はないと信じ、公平無私の奉仕に心を砕き、ご祭神の心を心として、県民崇敬者の、どなたにもご参拝頂けるよう心を配つていることをお誓いして、平素の暖かいお励ましを謝する次第であります。

(四二、三、一〇)

 

昭和42年4月16日発行「三重護国」より

 

解説:本稿は護国神社の公共性について言及したものである。昭和42年当時には県市町村の首長を輪番で大祭委員長に据えて参列をいただいているとある。これは昭和、平成、令和を貫き、現在の秋季例大祭にまで引き継がれている当社ならではの美風である。このような例は、他の神社に見受けられる事は非常に稀であって、林栄治元宮司が文中において「公共祭」と形容する所以である。


三重護国 第4号1頁
三重護国 第4号1頁
三重護国 第4号2頁
三重護国 第4号2頁

キーワード

 県民の魂の寄り所

 公共祭

 無宗教的慰霊式典

 護国神社の公共性

 皇室の御崇敬

 同列同位の神々

 公平無私の奉仕



ダウンロード
三重護国第21~40号
三重護国第21~40号.pdf
PDFファイル 25.7 MB